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最初は、こいつの部屋がどうにも狭っ苦しいから他の場所に拠点を作ろうと思ったのだが。

あの1Kは本人も認める通り安普請だ。壁は薄く、床はきしむ。ユニットバスはなにかの罰みたいに窮屈で、キッチンも自分はおろか彼女が使っていても狭そうだ。しかもまこと無用心なことに一階。逃した獲物に執着し機を狙って彷徨いていた奴らは、こいつが気づく前に適当に痛めつけて豚箱にぶち込んでおいたとは言え、これではいつなにがあってもおかしくない。あいつもあれでそこそこ顔が売れているし。
なにより駐車場がない。引っ越せと話したこともあるが、「TETSUさんが眠れるベッドが入るような部屋……そもそもベッドのおっきいやつを……うーん」と頭を抱えだしたので、喉元まで出かかった「手配してやる」というセリフを引っ込める羽目になった。そしてそれは正解だろう。こいつは愚かにも俺の居場所を自力で用意する腹積もりらしい。後ろ暗い金を持ってる年嵩の男なんて、生きるのが上手い女であれば適当に甘えて金蔓にでもしているところだろう。生憎その手の「援助」の趣味はないが、多少世話になっている分くらいはこいつに手をかけてやってもいいと思っている。世の中大抵のものは金でどうにかなるが、数少ない例外をこの女はあまりに俺に注ぎ過ぎている。
借りを作るのは性に合わないことだし、貸し借りをチャラにしようとして用意した小切手はこの女に破り捨てられている。絶対に破れないものを用意してやろう。

「というわけだ」

「なに!?」

話題の安普請のテーブルにおかれた札束に目を白黒させる様は気分がいい。さすがのこいつでも金そのものは破れんだろう。

「ねぇだから、私お金でTETSUさんといるわけじゃないしこういうの本気で気分悪い」

常にノンキしてる女にしては珍しく低いトーンで、すっと目が据わった。本気で怒る寸前だ。

「勘違いすんな、ただお前にやるわけじゃねぇよ」

「……じゃあなに?」

数ヶ月前の話だ。という前置きに眉根を寄せた女は、とりあえずは傾聴する気になったみたいで、怒りのギアとともに上げかけていた腰をソファに下ろす。

数ヶ月前、外国の金持ちが内密で手術をするために入国した。どこの国の誰かは知ろうとするな、興味もないだろうが。
とにかく、周到にも情報を秘すため都心のマンションを一室買い上げ、中に手術室を作ったうえでの来日だった。オレは術前から術後までそこに箱詰めで、医師団が解散したのが先月の初め。残されたのは本国に戻る要人一派及び医師団には必要のない、手術室つきのペントハウスだけだった。唯一日本を拠点としているドクターTETSUに依頼料とともに下げ渡されたのも当然だろう。

「なんだか豪勢な話だねぇ」

報酬とともに、あるいは報酬代わりの現物支給として物件やら金品を渡されることも少なくはないが、今回のはなかなか悪くない。結構気に入っていた。手術室つきなのが洒落てて良い。今後ああいった生活スペースのある建築物を拠点にするときは手術室も作ろうと思うほどに。

エレベーターと部屋のキーを札束の横に置く。残念ながらこいつの最悪なセンスの小物はつけられないカードキー仕様だ。

「痕跡を消すためにほとんどの家財は処分したまっさらな部屋だ。好きな内装にしていい」

「…………」

今度こそ絶句していた。

「え、す、住めってこと?」

「お前男に囲われる気あるか?」

「絶対無理」

「だよな。だが俺もそろそろお前のベッドはきつい。お前のベッドのほうも限界そうだしな」

最近はオレが体重を預けると大げさにぎしぎし軋む。そろそろ壊れるのかもしれない。

「いいじゃねぇかお前あれやりたがってただろ、どうぶつの、村? 森……?」

「ゲームのインテリアは楽しいけどタワマンでやるのは骨が折れそう」

なぜ現ナマなのかと文句を言われたが、現金が一番足もつかず明朗会計で後腐れがない。

そしてこいつが最初に購入したのは電子レンジだった。

次いでトイレと入浴周りを整えてから、やっとロングサイズのベッド一式が運び込まれたのは札束を預けてから一ヶ月後。

金は余れば好きにしていいと言ったが、こまめに使用履歴と残高を領収書付きで書き残し、ある程度まとまった金額の買い物は事前確認してくる始末だ。面倒だから全部任せたのにこれではむしろ手間は増えていた。

空いた部屋と金と暇さえあればせっせと自分の居心地がいいようにするだろうと思っていたのに。こいつときたら「俺」が住みやすいように整えやがるし。この女は金を受け取らないが、物であれば比較的手元に置く。俺が居なくなったあとこの部屋くらいは遺してやろうと思っているというのに。

挙げ句「他の人連れ込むときは表のコンシェルジュに伝えといてね。鉢合わせたら気まずいし」なんて言いやがって、こいつホント人の気とか知らねぇ勝手なやつだと思った。資本金出してるのが俺だから外部委託された気分なのだろう。そういう滅私奉公なんてムカつくしこいつに甲斐甲斐しく献身なんてさせる気はなかったので即座にハウスキーパーを用意した。そしたらなにを勘違いしたのか今度は「ごめん、これからは来る頻度下げるね」ときた。巫山戯てんのか。







「俺はオメェに甲斐甲斐しく面倒見てもらう気はねぇんだよ」

と、反抗期みたいなことをTETSUは言った。

じゃああなたにとっての私って何? と思ったが、聞いたところでヤブ蛇なので口には出さなかった。

TETSUの新しい拠点を好きにしていいと言われてカードキーとお金を渡された時私は普通に引いていた。ドン引きだ。闇医者、常識と金銭感覚が無い。そして実力とお金だけはめちゃくちゃあるっぽい。

私がもう少しかわいげがあったらこの男から一生遊んで暮らせるようなお金をジャブジャブ引き出せたかもしれないが、可愛げのある女にころっといてこまされて金銭貢ぐTETSUって見たくないかも。私が柄にもなくせっせとTETSUに尽くしてるのは、彼が好きっていうハートフルな理由を差っ引けばまず第一に命の恩人なのと、第二に富山で経済的に世話になりっぱなしだった反動ってのがある。TETSUのほうも、経緯はどうあれ揉め事に巻き込んだことに結構責任を感じているらしい。富山の件とか、銃弾の件とか。だってこの人あの時銃弾摘出するのに私の手借りてるからね⁉ だから彼なりの理論でバランスをとるため、ちょくちょく私に貢ごうとしてくる。先述の通り私は他人にちょろく貢ぐTETSU――たとえ相手が自分であれ――を見たくないのでその度に丁重に断らざるを得ない。ていうかなんでこの人、何か差し出されたら何かの対価とかバランスとかそういうことしか考えられないんだろ。闇医者だから? あっ、子供だからか。しかも思春期の。私と一緒だね。あとこの人わたしをまっさらなマンションに入れたら勝手に環境整えだすヤドカリ扱いしたな。彼に人並みの暮らしをして欲しい私の健気な欲求を野生生物の習性とでも思ってるのか。

義理人情仁義のケルベロスを内に秘めた恋や愛とは遠い存在なので、TETSUがなにしようがあまり文句を言う筋合いはない。さすがに胃癌発覚時みたいにズルズルに流されるのはK先生たちに叱られて反省したので生き死についてはガンガン言ってく所存だけど、例えば私が誂えた部屋で他の女性や男性を連れ込んでいても私に口出す権利はない。鉢合わせたくはないのでそういうときは根回ししといてねと言うと苦い顔をされた。最近じゃハウスキーパーを手配されたのでああこれいよいよ関係性を切られるのだろうかと落ち込んだがそういうわけでもないらしい。やさぐれてた時に一度ヤりかけて以来双方かなり後悔した―――TETSUに確認したわけじゃないけど、多分双方後悔した―――のでセックスとかもしてないし。

一緒に寝るのは寝るんだけどね。今だって「TETSUの新しいヤサ」に運び込まれた大きなベッドに二人で横たわっている。

「じゃあ私何すればいいの?」

「好きにしてろ」

来たくなきゃ来るな、と冷たいことを言われる。

「私がTETSUさんに会いたくない瞬間なんて無いよ」

「薄っぺらい女だな」

とかいいつつ満足げだ。この人ホントこういうとこあるよな。

  *****

稲妻が落ちるような出会い方をしたガキを、さてどこに置くべきかと思えば、迷うことなくあの都内タワマンペントハウスしかなかった。清潔で暖かくて風呂場にはタオルとシャンプーと石鹸あり、冷蔵庫には麦茶と食べ物があって菓子盆につまめるようななにかがいつでも入っている。そんな、子供を住まわせられるような場所はいまのところあそこしかない。さすがに学習机はないが、和久井譲介が退院するまでに手配できるだろう。顔見知りの女はああは言っても週に一度来るか来ないかで、実質的にあの部屋は空いているようなものだ。

子供を引き取るにあたってあと必要なものは何だ。15、6歳の頃なんてもう記憶にない。正確には記憶はあるが、こういう場合にほとんど使い物にならないような経験だ。見舞いついでに漫画雑誌や小説本を差し入れてやったが見向きもしない。

「どうしたの?」

ダイニングのデスクに書類を広げたまま考え事する俺を見て、見向きもされなかった小説の作者は涼やかな声で首を傾げる。買ったばかりの日持ちする菓子を盆に詰めて、はみ出た古いそれを俺と自分に分ける。

これを言っちゃ多分キレるだろうなと思つついつまでも黙っているわけにもいかない。和菓子の封を切りつつ彼女に告げる。

「……子供を引き取る」

「はあ?」

同じく餡の入ったお菓子を破りながら、予想通り女は素っ頓狂な声を上げた。

「なにがどうしてそうなるの?」

「児相も施設も持て余してる。どこにも行き場がない」

「でも、TETSUさん子供の面倒なんて……」

「じゃあおめぇ、やっと引取先の見つかったガキに『やっぱり無しで』って言えるのかよ」

う……。と息を詰めて黙りこくる。目を通していた手元の資料をつきつけてやると、子供の経歴を見て女は「……ううん」と唸った。児相の作成したあらゆる資料が、社会が嘯くところの「難しい子」だと言っている。

「でも受け入れる準備とかさ……え、どこに住むの?」

「ここ」

「ここかぁー……まぁ、そうね……」

「家事はハウスキーパーを入れる」

「でも子供を育てるってそういうもんじゃないんじゃ……何その顔、あれ? これ私がおかしいのかな?」

ーーー


あんまりにも普通の顔して言うから私の常識がまずいのかと思ったけど違うよね。そもそも単身男性で子供って引き取れるものなのだろうか。犬猫ですら引き取ろうとすると結構な条件を課されるものだけれど。まぁこの人、闇の部分をオミットすれば施設に寄付しまくってる慈善家ドクターだし、反対に闇の部分だけ見るのならば、えげつない金とコネと技術を持っている男だ。どうとでもしちゃだめな部分がどうとでもなってしまったのかもしれない。この社会はどうかしている。

そして私に対しても「どうしてほしい」じゃなくてあくまでこっちが自発的に動いたことにしたいんだよなこの男は。そういう操作性ってあんまり好きじゃないんだけど。医者としての責務は全うするのにこういうところになると途端に子供じみた無責任さが顔を出すアンバランスな男だ。闇の部分。心の闇。そこでしか棲息できない人もいるので無理に照らすつもりはないけど。

「心配するなよ」なんて軽く口にしていたけどあんな闇医者が子供引き取る以上に心配なことなんてないので、そういうわけで慌てて高校生っぽい学習机とか生活用品を揃えてやるはめになった。とはいえ男子高校生だった時期はないので色々ググったけど。

「高校生って髭生えてる?」

とメールしたけど返事はなかったのでドラッグストアの店員に聞いて「僕の経験で言えば……」やさしくアドバイスしてもらった。

そんなこんなで半日で男子高校生がやってくる手配を済ませた私は偉すぎる。よしよししてもらってもいいはずだ具体的にはTETSUに。

TETSUは人の親になれるような人間ではない。勿論私も。自分の世話で手一杯で、残された余力で成人相手にちょっと優しくしたり遊んだり甘えたりすることはできるけど子供の世話ってそういうわけにもいかないだろう、と予想はできる。それこそ、犬猫じゃないのだし。

子供は色々あっていまは入院中らしい。色々、の部分はTETSUから聞いたけど本当に色々過ぎてドン引きした。

「右胸心って、ブラックジャックに出てたようなやつ?」

「なんでお前の医療知識は全部ブラックジャックなんだよ」