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その後もTETSUとは街で遭遇したり、銃弾受けた腹でうちにやってきたり、ご飯食べたり眠ったりテレビ見たりテレビに文句言ったりした。
そうそう、あの薬物混入犯罪者達は私達が富山から戻って程なく、無事逮捕されたらしい。というか、自首してきたとか。ひどく反省して余罪やらについて協力的に自白しているらしいが、突然罪の意識が芽生えた理由については頑なに口を閉ざしているとかなんとか。我が家の最寄り交番に大層怯えた様子でやってきたとか言うので、意外とご近所さんだったのか、もしかしたら私の個人情報ってやっぱりあの夜奴らに握られていたのかもしれない。あれ? もしそうだとしたら私もしかして知らぬ間に結構ピンチだった?
「なんか、ヤバいののツレに手を出して報復されたんじゃないかって話でね」
事件担当となっていたおじさん警察官たちに聞いたそんな話をTETSUに報告すると「ふーん」と特に興味なさそうにしていた。
自首したという日付はちょうどTETSUが初めて我が家にお泊りして一緒に寝た―――文字通り本当にただ寝ただけなんだけど―――お泊り記念日なので、私にとって大変印象深い日となった。人生の節目だったのかもしれない。とはいえTETSUは朝にはいなくなってたけど。
この男とは早々にセフレにでもなるかと思ったけど案外そうはいかず、なし崩し的にことを及ぶのは困難だった。闇医者ドクターTETSUは案外というかやっぱりというか身持ちが硬い。
そんな関係を一年以上。随分と生活に馴染んだものだ。数ヶ月来ないこともあれば、一週間くらいうちに潜伏したこともあった――具体的には腹の弾丸をどうにかした時がそれだったが――基本的には平和と言える日々だった。その間私は転職がうまくいかずヤケクソでハードボイルドノワール医療ドタバタスラップスティックコメディを書いて出版にこぎつけたりした。TETSUさんとの初対面エピソードを差し支えない範囲でそのままノベルにしただけなんだけど担当編集からは「荒唐無稽なのにリアリティがある」と言われ世間でもそれなりに売れた。「実体験なので」とコメントしたらギャグが滑ったみたいになったのでつらかった。事実なのに。
「医療監修とかTETSUさんに任せていいの?」
「いいと思うか?」
思う、と言ったら闇医者からデコピンされた。そういうわけで私は私の主治医に教えを請うことにしている。
主治医と言っても、治療中の持病があるというわけでもなく普通にインフルエンザ予防接種とか受けに行く付き合いの長いかかりつけ医だ。定期的に通院しているのは低用量ピルを処方してもらうため、というのは建前で、茶飲み話をしに行くのがメインである。
西城医院のKEI先生は、医療監修をお願いしたら「スケジュールが大丈夫なときなら」と快諾してくれた。私がTETSUの他に知っている医療関係者はKEI先生しかいないし、いちいち編集部を通して別のとこから監修を受けるのも面倒なので、通院の折に相談したり、文書を預けてチェックしたりしてもらっている。世界に対して「わたしの先生最高なんだよ!」と知らしめるため医療監修として堂々名前を載せたかったのだけど、先生本人から固辞されたせいで、あとがきに謝辞を記載することしかできないのは歯痒い。
「先生、お約束のお客様がお見えです」
受付の女性が院長室をノックして、部屋から先生が顔を出す。
「あら、今日はあなたの来る日だったわね……。ごめんなさい、ちょっと急な来客があって……」
いつも泰然自若として涼しい顔でなんでも解決する先生が珍しく少し動揺していて、間の悪い感じだった。よっぽど都合が悪いのだろう。
先生の迷惑にはなりたくないので出直そうかと思ったが、ふいに知った声が耳に入る。
「お前……」
「TETSUさん?」
喉仏の震えが見えるみたいに掠れてるのに、張りと艶がある低い声、こんなにど真ん中に好みな声質の人間ひとりしか知らない。姿を見ずとも一発でどこの誰かわかるけど、確認のため不躾ながら部屋を覗き込む。
高身長なKEI先生の奥にこれまたでかい人類が二人いた。片方は予想通り知った仲である。白いコートと黒いマントが並んでいてここだけ世界観が違う。100年ぶりの世紀末はもう終わりましたよ。
「つきまとい行為は法令違反だぜ……」
「ちがう、偶然! ……世間って狭いですねぇ」
私に闇医者ストーキングできるスキルあるわけないでしょ。ていうか闇医者が法の話をするな。
「なら、本に書いてあった『I・K先生』への謝辞は……」
「磯永のKEI先生だから……」
「磯永……あぁ、そうだったな」
明らかに見知った関係である我々にKEI先生は目を白黒させて、マントの男へ困惑気味に視線をやったあと私を見た。
「あなたたち、知り合いなの?」
「一緒に富山行ってイルカ見たりカニ食べたりしました」
「ドクターTETSU、あなた……一般人にちょっかいかけてるの⁉」
「好きで行ったんじゃねェ。かけてねぇ、かけられてンだよ」
と女二人に几帳面そうに反論して、彼は顔をしかめた。
KEI先生はそれには返事をせず、私を見る。「交際してるの?」とあらぬ疑いをかけながら。
「してませんよ」
「妙な勘違いすんじゃねぇよ誰がこんな女と」
TETSUさんを見上げると心底心外そうな顔をしていたのでウケた。ひどすぎない?
どう考えても私が居てよさそうな雰囲気ではないので、先にお暇することにする。よく見たら医院の駐車場にはTETSUのハマーが停まっていた。相変わらずデカくていかつい車である。派手好きだなぁ。
「あんな男と付き合うのはやめなさい」
翌日呼び出しを食らった私はKEI先生からマジの説教をされた。
美人がする迫真の真顔は綺麗すぎて怖い。
「付き合ってませんよ」
「なお悪いわよ……第一、なぜ彼と知り合って……」
「それは拙作の一巻を読んでいただければ……」
「実体験って言っていたの、そういうことだったのね」
高校生の頃から診ている子がドクターTETSUの毒牙に……、と頭を抱えている。ドクターって単語は医者って意味なのに音に「毒」が入ってるの面白いね。
「まぁまぁ、初対面以外は危ない目にも合ってませんから」
「なんで他人事なの」
生き残ったからですかね。小説として昇華してしまったので、自分の中で一区切りついたのかもしれない。その後のTETSUとの題名のない日々はどう切り取ってもとても人に語って聞かせるような内容ではないのでどうにもならないまま胸の奥で焦げ付いているけど。
KEI先生は気遣わしげに私を見やる。付き合いが長くて、優しい上に金銭の授受関係が明確にあるので、他人の中でこれほど信頼できる人も居まい。世の中お金のつながりがある方が安心できるときもある。
「調子はどうなの?」
「すこぶる元気ですよ。仕事もまずまずですし、プライベートもTETSUさんのおかげで退屈しません」
「刺激が強すぎる気がするわ……」
「呑気な質なので、これくらいがちょうどいいんだと思います」
「手に負えなくなったらいつでも相談してちょうだい」
すごく心配そうにしてくれる。KEI先生やさしい。闇医者のTETSUとは大違い。
きっとTETSUみたいにランボーたった一人の戦争・医療スペシャルみたいな事態とはは無縁なのだろう。
そういう話を後日TETSUにしたら「あいつはオレよりトガってたぞ」と言われたので人は見かけによらないんだね、TETSUさんと一緒だね。
「TETSUさんってそんな年だった……んですか?」
「んだその急な敬語」
「干支一周以上うえだなぁ、と思うと……」
見た目的にそれくらいは上だろうと思ってはいたけど。過ごす時間がながければ長いほど、少年じみた部分が目について年齢を意識しなくなっていた。TETSUは身体のおっきい十六歳みたいなところがある。テレビが映す「世代別クイズ」を見ながらお互いのカルチャーギャップを確かめてると年齢差は自ずと見えてきて「TETSUさんっていくつ?」と聞くと普通に教えてくれた。
「ケーってだれ?」
「…………」
よく会話に混じる名前について深掘りしようとするが、こっちは答えてくれないらしい。男は無言のままナスの揚げ浸しをつついている。別に知らなくていいことだけどそれ結構な手間がかかってるからね。
「ナス美味し?」
「…………」
「……どれが一番美味しい?」
無言でナスの揚げ浸しを突いてるので多分ナスだった。
食後、食器を下膳しているとTETSUが無言でシンクに立ったので任せることにする。その横でヤカンを火にかけて、コーヒーとカモミールティーを用意する。夜なので私はカモミールティーだが、TETSUはオールウェイズコーヒー党である。身体に悪そう。
でっかく「T」と書かれたヴィンテージグリーンのマグカップはぽってりとしていて可愛いと思って買ったけど、はじめてTETSUに見せたときわりと嫌そうだった。可愛いのに。可愛いからか。TETSUの書く「T」のサインのほうが可愛いと思うけど。以前貰ったメモに書かれていた、丸印に収まったTはてんとう虫みたいで味わい深かったので、そのまま触角と黒い七星を書き足してあげた。ちなみにそのTマークはそもそも20キロの米袋に添えられていたものだ。重いから買うの大変って言ったの覚えててくれたらしい。でも玄関に突然見に覚えのないブランド新米20キロが2袋あるとびっくりするからやめてほしい。加減しろ。年貢じゃん。
TETSUが来だしてからうちにものが少し増えた。というより、勝手に増やした。箸とマグは元カレのを使わせるのもしのびなくて新調したし、歯ブラシも買った。お茶碗はまだ買ってないけど多分そのうち買う。髭剃りは元カレ用の新品買い置きを出したら最初は文句も言わずに使っていたが、そのうちクリームと直刀のカミソリを自分で持ち込みだしたので気に食わなかったんだと思う。そんなガードのない鋭い刃でよく肌を切らないなと見るたびに感心する。狭い洗面台でうっかりぶつかりでもしたら大惨事なので髭剃り中は近寄らないことにしてるが、遠目で見てると決まってこちらを横目で見てちょっと愉快そうに唇の端を持ち上げるから多分私のビビリをバカにしてる。
夜も深くなってきて、テレビ番組はいつの間にか流行りのドラマに変わっていた。画面では若手俳優がスーツ姿で刑事をしている。TETSUは私のソファに我が物顔で足を広げて座っているので私のほうが専有面積が少ない。なのでTETSUにもたれかかるのは不可抗力である。抵抗してこないし。なにしてるのか覗き込めばアームカバーを広げてメスの手入れをしていた。それそういう仕組みなんだ。人んちでやるな。映画で殺し屋が銃の手入れするときみたいで、真逆なのに似てるのって不思議。
「あ、そうだ」
並べられた銀色のメス? やカンシ? とか、それピッキング以外に使い道ある? みたいな器具類を見ていると、用意していたものを思い出して、ソファに座ったまま腕を伸ばす。棚においていたウッドトレイから取り出したシルバーの鍵をTETSUの眼の前に掲げる。
「…………なんだこれ」
「合鍵。鍵開けてたらTETSUさん怒るじゃん」
TETSUがいつ来るかわからないので「そろそろかな」って時期になると玄関の鍵を開けてたら、勝手に入ってきたくせに「無用心なことすんな」と叱られたのだ。 そういうわけで、しまい込んでいた合鍵が日の目を見ることになった。
「TETSUさんキーホルダーもってる? ごめんわたしいまノリで買ったかっこいい剣のチャームしかなくて」
ブラックシルバーのメタリックな西洋剣にギザギザで目が赤いドラゴンが巻き付いたやつだ。しかも暗いところで光るらしい。友達との旅行の時、勢いで買ったものだった。
無言だったので(チャームのかっこよさに絶句したのかもしれない)合鍵にドラゴンソードキーホルダーをつけてやる。これで失くさないだろう。このキーホルダー結構重いから落としたら一発で気づくし。
「…………センスが無ぇ」
「えっ、かなりかっこいいと思うんだけど」
「だが納得した」
何に? と首を傾げる。
「お前全てにおいて趣味が悪いんだな」
「そんな全面否定の仕方あります?」
喉の奥で低く笑って、太い腕が伸びて私を引き寄せる。日頃太陽に当たらない白い腕を辿り、その先にあるゴツゴツと節くれだった指にこれまたゴツゴツしたキーホルダーつきの鍵を握らせる。TETSUの手は大きいので、私の手では両手を使っても包み込めない。
「オレみたいなのに引っかかるわけだよ」